2025年7月20日に投開票が行われる参議院議員選挙に際し、長期投資家の視点から過去の経済政策の成功と失敗を振り返ります。どの政党や候補者に投票すべきか迷っている方も多いと思いますが、経済政策においては、単純な減税のようなポピュリズム的な話だけでなく、経済全体の成長が重要です。国民経済の観点からも、長期投資の観点からも、経済成長は欠かせません。
この記事では、過去の政策を振り返りながら、どのような政策が良いとされ、どのような政策が問題を引き起こしたのかを解説します。なお、私は特定の政党を支持するものではありませんので、ご了承ください。
目次
経済政策を考える上での3つの重要ポイント
経済政策を評価する上で、以下の3つのポイントが重要になります。
1. 外需と内需
- 外需:日本経済は基本的に外需主導型であり、特に株式市場の大企業にとっては外需が中心です。トヨタのような自動車産業や、日経平均の大部分を占める半導体関連銘柄のように、外国への輸出や海外での生産が経済を牽引しています。人口1億2千万人の日本に対して世界人口は約70億人であり、世界の需要を取り込む方が経済成長の大きなドライブとなります。
- 内需:一方で、日本は世界でも人口が多い国の一つであり(12位)、内需の成長も政策上非常に重要です。外需と内需は「車の両輪」であり、これまでの政治はどちらに重点を置いたかによって成功や失敗が分かれてきました。
2. 国民生活と財政
これらは経済を牽引する役割よりも「調整弁」としての意味合いが強いとされます。
- 国民生活:資本主義的に大企業だけが成長し、従業員の給料が安いままでは、いずれ歪みが生じます。国民が豊かでなければ内需は発生せず、不満が蓄積し政治も不安定になります。したがって、単に資本主義だけを重視するのではなく、国民生活の安定も不可欠です。
- 財政:内需を活性化させるために公共投資や減税が行われることがありますが、財政が悪化しすぎると経済を冷やす結果を招く可能性があります。例えば、国債が売られ長期金利が上昇すると、企業の借入金利が上がり、経済が冷え込みます。また、日本円が売られ円安が進むと、物価がさらに上昇する悪循環に陥ることもあります。単純な減税だけが物価高対策になるとは限らないのです。
3. 金融政策
金融政策は経済の「アクセルとブレーキ」に例えられます。
- 金利引き下げ(アクセル):経済を活性化させますが、過度な活性化はインフレやバブルを引き起こす可能性があります。
- 金利引き上げ(ブレーキ):景気を冷やす作用があります。
このアクセルとブレーキの使い分けが非常に重要であり、過去には使い分けを理解していなかったと思われる政権もありました。
日本経済政策の成功事例
ここからは、日本経済政策における主な成功事例を振り返ります。
1. 池田勇人内閣の所得倍増計画
1960年、池田内閣が掲げた「国民所得倍増計画」は、10年間で国民所得を倍増させるという経済政策のスローガンでした。
【時代背景】
第二次世界大戦終戦から15年が経過し、復興期を終えて経済を本格的に活性化させようという時期でした。
【成功要因】
- 若年層の労働力供給:戦後のベビーブーマーが成長し、若い労働力が豊富に供給されました。これは同時に消費者層の拡大も意味し、生産と消費の両面が活性化しました。
- 高度経済成長:実際には目標の10年を大きく前倒し、7年で所得倍増が達成され、日本の奇跡的経済成長の原動力となりました。
- 公共投資とインフラ整備:戦争で荒廃した国土のインフラ整備が進められました(例: 1964年の新幹線開通)。
- 輸出拡大と企業支援:安い労働力に加え、1ドル360円の固定相場制が有利に働き、人為的な円安状態が続きました。これは、経済成長に伴う円高を防ぎ、輸出産業を強力に後押ししました。
- 金融緩和と低金利政策:金利が低く抑えられ、金融部門では「護送船団方式」と呼ばれる政府主導の融資が行われ、企業への資金供給が容易になりました。
- 米国の冷戦戦略:冷戦時代において、米国が共産主義勢力の拡大を阻止するため、日本を強くすることが望ましいと考えていた外交的背景も、日本の輸出拡大を後押ししました。
- 明確なスローガン:「国民所得倍増計画」という明確で分かりやすい目標を掲げたことで、国民が一丸となって経済成長に邁進するドライブとなりました。
この時代は「普通にやっていれば普通に成長する」というある意味イージーな時代であり、中国の高度経済成長期にも似た側面がありました。
2. オイルショックとその乗り越え
1973年10月、第4次中東戦争をきっかけにOPEC諸国が原油価格を4倍に引き上げ、「オイルショック」が発生しました。日本は原油の98%を中東に依存していたため、最大級の打撃を受け、インフレ率は一時年率30%超の「狂乱物価」となりました。
【当時の状況と政府の対応】
- 田中角栄首相は「日本列島改造論」を掲げ公共投資を推進していましたが、インフレ期におけるアクセル政策はインフレをさらに加速させる結果となりました。
- 日銀は政策金利を大幅に引き上げましたが、企業の資金繰りを悪化させるという難しい局面でした。
- 政治的な不満も高まり、田中首相は辞任、後にロッキード事件で失脚しました。
【ピンチをチャンスに変えた政策】
- 困難な状況下で、政府は「省エネルギー推進政策の本格化」を打ち出しました。経済産業省(当時の通産省)が中心となり、省エネ技術や設備投資に補助金を支給し、企業を支援しました。
これにより、日本の企業は国際競争力を高めました。自動車産業は燃費の良い車を開発し、エネルギーを大量消費する鉄鋼や造船業から、半導体や電気機器のような高付加価値産業へと産業構造が転換していきました。 - この時期は、ニクソンショックによる変動相場制への移行(円高の進行)という逆風もありましたが、日本企業は技術力と努力でこれを乗り越えました。
結果として、1979年の第二次オイルショックでは、日本はマイナス成長を回避し、株価も崩れることなく輸出企業中心に堅調に推移しました。これは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称される日本の経済力を象徴する出来事となりました。
【政策の教訓】
- ピンチはチャンス:困難な状況下で、国が「この分野を頑張れ」という明確なメッセージを補助金という形で示すことが、民間企業の努力と相まって経済を強くする原動力となりました。
- 「弱いところを補助する」政策の危険性:一方で、競争力の弱い分野(例: 農業)に補助金を出すことは、その分野を弱体化させ、経済全体の成長を阻害する可能性があるということです。
日本経済政策の失敗事例
バブル崩壊
オイルショックを乗り越え力をつけてきた日本経済は、1980年代後半に大きな転換点を迎えます。
【プラザ合意 (1985年)】
米国が双子の赤字(財政赤字と貿易赤字)に苦しむ中、日本が対米輸出で「儲けすぎている」という批判を受け、円高への誘導が合意されました。結果、1ドル240円台だった円相場は、一気に120円台まで円高が進行しました。
【日本政府の対策と裏目】
急激な円高により、外需主導の日本企業(自動車、電機メーカーなど)は業績悪化に直面し、海外現地生産化を進めることになりました。
この危機感から、日本政府は内需拡大政策を強力に推進します。具体的には、公共投資10カ年計画による大規模な「ばらまき」と、1986年からの大幅な金利引き下げ(金融緩和)でした。
【バブルの発生と崩壊】
これらの政策により、金余り現象が発生し、株や不動産への投機が過熱しました。
1989年には日経平均株価が史上最高値の38,915円を記録し、世界上位50社のうち30社以上が日本企業、東京の地価はマンハッタンの4倍にもなるなど、異常な状況が生まれました。
しかし、「行き過ぎたものは必ず弾ける」のが世の常です。日銀は遅きに失したものの、1989年5月に利上げを断行し、これが引き金となり株式市場は暴落しました。
【政治の混乱と政策対応の遅れ】
バブル崩壊と同時期に、1989年4月には消費税が導入され、財政悪化と高齢化社会への備えが進められました。
また、リクルート事件のような政治スキャンダルも発生し、政治の混乱を招きました。
こうした政治の混乱の中で、景気対策や金融規制への着手が遅れ、不良債権処理が適切に行われませんでした。
結果として、日本は「失われた30年」と呼ばれる長期停滞期に突入することになります。この経験から、政治の安定が経済政策の成功には極めて重要であることが分かります。
評価が分かれる経済政策
バブル崩壊後の混乱期から、評価が分かれるいくつかの政策が実施されました。
橋本内閣から小泉内閣の構造改革
バブル崩壊後の1990年代は、不良債権の増大、企業による投資・雇用の縮小、デフレ圧力の本格化、銀行の貸し渋り・貸し剥がしによる中小企業の倒産ラッシュといった深刻な不況に見舞われました。
【政治の混乱】
1991年から1996年にかけては、リクルート事件などで自民党が支持を失い、「55年体制」が崩壊。細川、羽田、村山といった短命な少数政権が続き、経済混乱期において有効な手立てを打てない状況でした。
【橋本龍太郎内閣(1996年〜)】
自民党が勢力を取り戻し、橋本総理は「財政構造改革」を掲げました。
1997年には消費税を3%から5%に引き上げ、医療年金の自己負担増、特別減税の廃止を実施。これは当時の国際的な財政健全化の流れや、IMFからの警告、そして比較的良好だった景気状況が背景にありました。
また、不良債権処理は市場に任せる姿勢を見せました。公的資金投入も行われたものの、長引く処理にハードランディングが必要との判断があったのかもしれません。
結果として、1998年には実質GDPがマイナス1.1%を記録し、銀行や証券会社の破綻も相次ぎました。これは経済を冷やす結果となりましたが、橋本内閣が不良債権処理に「ある意味で終止符を打とうとした」ことで、その後の経済回復への下地を作ったとも言えます。
【小泉純一郎内閣(2001年〜)】
1999年には日銀が世界に先駆けてゼロ金利政策を導入し、量的緩和を実施しました。金融政策によるアクセルが効果を発揮し、ITバブル期とも重なり、日本経済は回復基調に入りました。
小泉総理は「痛みのある改革」を掲げ、郵政民営化、規制改革(官から民へ)、そして「自民党をぶっ壊す」というスローガンで国民的熱狂を生み出しました。
経済面では「戦後最長の景気回復」を達成し、高い支持率を保ちました。
◆評価の分かれる点
- 雇用規制の緩和(特に製造業への派遣労働導入): 企業にとっては、低コストで生産を行うことで国際競争力を高め、利益を拡大させる上で非常に有効でした。実際、バブル崩壊後も日本企業の経常利益は成長を続けていました。しかし、これは同時に非正規雇用を拡大させ、国民生活、特に若年層の不安定化(就職氷河期にも影響)につながり、国民の実感としての景気回復が伴わない要因にもなりました。
- 企業利益と国民生活の乖離:企業は成長したものの、その恩恵が広く国民に行き渡らなかったという批判があり、小泉政権の経済政策は成功か失敗か、議論が分かれる点です。
暗黒の民主党政権時代
小泉政権後の自民党政権が短命で続かず、国民の不信感が高まる中で、民主党政権が誕生しました。これは主観が入った表現となりますが、この時代は「暗黒」だったと言えます。
【誕生の背景とスローガン】
- 自民党への不信感から、「とにかく自民が嫌だから」と民主党への期待が高まりました。
- 「生活が第一」「コンクリートから人へ」「脱官僚政治主導」といったキャッチーなスローガンを掲げました。
【政策運営の問題点】
- 中身の伴わないスローガン:「コンクリートから人へ」は八ッ場ダム建設中止などで実行されましたが、必ずしも必要でない公共事業だけを止めたわけではなかったため、政策運営がグズグズに進みました。
- 官僚との関係性破壊:「脱官僚政治主導」は、聞こえは良いものの、実務を担う官僚を軽視した結果、政策立案・実行能力が低下し、マニフェスト機能も官僚との関係性も崩壊しました。
- 党内対立:党内には保守とリベラルが混在し、意見対立が頻発しました(例: 小沢一郎氏の離党)。
- 外交の混乱:鳩山由紀夫総理が「最低でも県外」と発言した普天間基地移設問題は、経済・安全保障の両面で日本を支える米国との関係を損ない、「ルーピー」と批判されるなど、外交も不安定化しました。
【経済状況の悪化】
- リーマンショック後の深刻な円高(1ドル70円台)を放置しました。外需主導の日本経済にとって極めて不利な状況にもかかわらず、大企業優遇策を取ることに消極的だったため、有効な手立てが打てませんでした。
- 東日本大震災の発生が、さらなる円高を招きました。
- 金融政策の「アクセル」を踏むべき時期に踏み切れず、景気が低迷しました。
- さらに、このような経済状況下で、消費増税(後に自民党も同方向へ)を打ち出し、国民の支持をさらに失いました。
総括
民主党政権は、政治が混乱し、何も決められず、経済政策に明るい人材が不足していたと言えます。政治の不安定さが、リーマンショック後の経済危機をさらに深刻化させ、失われた30年を長引かせる結果となりました。
再びの成功事例:アベノミクス
民主党政権の混乱を経て、2012年末の総選挙で自民党が政権を奪還し、第二次安倍政権が誕生。安倍晋三元首相は、経済政策に明確な方向性を示す「アベノミクス」を掲げました。投資家視点から見て「これほどありがたい政権はなかった」と言えるでしょう。
アベノミクス誕生の背景と意図
- 「日本を取り戻す」というスローガン。
- デフレ脱却、円高是正、経済の再生・再起動を目的とした「三本の矢」。
三本の矢
1. 大胆な金融緩和(黒田バズーカ)
- 2013年からの「異次元の金融緩和」。
- 2014年の消費増税時には追加緩和を実施。
- 2016年にはマイナス金利導入、さらに「イールドカーブ・コントロール」により、政府が長期金利を操作するという大胆な政策に踏み切りました。これにより、株価は大きく上昇(2008年リーマンショック以来低迷していた日経平均が2013年以降に急回復し、2015年には2万円を突破)。
- 金利低下は為替にも影響し、円安が進行。外需主導の日本企業にとっては追い風となり、業績向上と株価上昇の好循環を生み出しました。
- 海外からの視点では、日本の政治が安定し、明確な経済政策を打ち出したことで、外国人投資家からの資金流入も活発になりました。政治の安定は、外国人投資を呼び込む上で非常に重要です。
2. 機動的な財政政策
- 民主党政権の「コンクリートから人へ」とは対照的に、公共投資、インフラ整備、震災復興、企業支援、地域活性化、子育て支援などに積極的にお金を投じました。特に東日本大震災からの復興は、日本経済が復活する原動力の一つとなったと評価されています。
- 消費増税(8%→10%)も行われたものの、金融緩和を同時に行うことで景気の冷え込みを抑制しました。
3. 成長戦略(民間投資の喚起)
- 規制緩和(医療、農業、雇用、エネルギー市場の自由化など)を試みました。農業分野など、完全な自由化には至っていない部分もあります。
- 税制改革は、大企業に有利な政策として投資家には評価されました。
- 外需拡大のためにTPP(環太平洋パートナーシップ協定)を推進。
- 労働市場の活性化として、女性活躍推進や外国人材の受け入れ緩和を進めました。これらは単なるジェンダー論だけでなく、労働力不足という経済的課題への対応という側面も持ちます。
- コーポレートガバナンス改革:「ROE(自己資本利益率)重視」などを掲げた伊藤レポートを契機に、上場企業の効率的な企業運営を促しました。これは長期的には国民経済にも好影響をもたらすとされています。
アベノミクスの課題
- 長期政権は、森友問題や裏金問題のような癒着や政治不信を引き起こす要因にもなりました。
- 成長戦略における「どの分野を成長させるか」という重点分野が曖昧だったという指摘もあります。オイルショック時の省エネ・軽薄短小産業へのシフトのように、具体的な産業戦略が不足していたと感じる意見もあります。
長期投資家が政治に求めるもの
これまでの成功・失敗事例を踏まえ、長期投資家として政治に期待する要素は以下のようなものにまとめされます。
- 政治の安定:政治が混乱すると、外国人からの投資資金が入りにくくなり、経済成長も停滞します。
- ポピュリズムに傾倒しすぎないこと:国民生活も大切ですが、大企業を悪者にするだけでは経済は停滞してしまいます。
- 経済の現状理解と適切な政策立案:経済を正確に理解し、現状を把握した上で適切な手を打てる能力が求められます。
- 重点分野の明確化:どの産業分野を伸ばすべきか、具体的な掛け声をかける政治家が必要です。
- ピンチをチャンスに変える視点:オイルショックやデフレ期(ユニクロ、ニトリの台頭)のように、困難な状況を成長の機会に変える発想が重要です。少子高齢化のような課題も、ポジティブに転換する方法を考えるべきです。
- バランス感覚:大企業に傾きすぎた場合は国民生活に、国民生活に傾きすぎた場合は大企業に、というように、偏りすぎずバランスを取る調整能力こそが、政治に最も求められる役割です。
最終的に、投票先を選ぶ際には、経済以外の観点ももちろん重要ですが、この記事が皆さんの判断の一助となれば幸いです。

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